中馬街道「塩の道」
足助は、江戸時代に、三河湾から運ばれてくる塩を、信州塩尻へと運ぶ流通の中継地点として栄えました。
塩は広く全国各地の海から集まり、矢作川沿いに川船で運ばれたり、陸路を荷車で運ばれて足助にやってきます。
その目方(重さ)は産地によってバラバラだったため、一旦足助で荷解きされ、足助からの山間ルートを馬で運ぶのに適するよう、一つを七貫目(約26kg)に包み直し送り出されました。
これを通称「足助直し」と呼びます。それを一頭の馬に四俵ずつ付けて運び、年間二万俵を超える塩が信州へ運ばれていたとされています。計算上では、年間延べ五千頭を超える馬が行き来していたことになります。
足助の宿で包み直された塩は、各地の塩を混ぜ合わせたため、産地名ではなく「足助塩」というブランド名で流通しておりました。混ぜ合わせることで塩の味が良くなり、評判の塩だったと伝えられています。
塩の道は全国各地に何カ所か存在し、それぞれが流通の発展に大きく関わっています。